エディット・ピアフ~愛の讃歌
”♪あなたの燃える手で~、あたしを抱きしめて~♪”
おなじみの曲、愛の讃歌、戦後の日本の歌姫、越路吹雪さんの代表曲です。
そしてこの名曲の"愛の讃歌”の生みの親が、世界の歌姫エディット・ピアフです。
今日久方ぶりの映画を見に行きました。
”エディット・ピアフ 愛の讃歌”です。
感動が消え去らないうちに、書きしたためておきたいと思います。
愛の讃歌、ばら色の人生、パダン、パダン・・・・・など、良く知っている歌です。
特に愛の讃歌は大好きな名曲、一人口ずさむことたびたびです。
しかし、これらを歌っているピアフ、名前は良く知ってはいましたが、
考えると彼女自身のこと何も知らなかった私でした。
1915年、第一次世界大戦の真っ只中にうまれ、47歳の生涯を終えるまで、
恵まれぬ境遇の元に生まれ、育ち、幼い頃から人生の縮図を垣間見てきた
そんなピアフでした。
大道芸人だった父と街角で歌う歌手だった母、
父は戦場に駆り立てられ、やがて母にも見放され、祖母に預けられる。
祖母の家は娼婦の館であった。
娼婦たちとの生活の中で、虚弱体質の彼女は、角膜炎を患い、
4年間、目の見えない生活を送るのです。
そしてこれが事実なのか定かではないのですが、
何とか、彼女の目を元に戻してあげたいと娼婦たちは、教会に連れて行き、
聖テレーズに祈ると、彼女の目には光が戻ったというのです。
その後、彼女は生涯、クロス(十字架)を手放すことは無かった・・・といわれています。
戦場から戻った父とのサーカス暮らしの生活、
やがて、父から独立して、同じような境遇のともだちとの生活、
母親と同じように、街角でシャンソンを歌い、日々の糧を得る生活。
そこで、クラブのオーナーに見出され、ステージに立つようになる。
ある日、父親とも慕っていた,そのオーナーが殺されてしまう。
その絶望の淵から著名な作詞作曲家が彼女を救う。
彼女に対して容赦の無い訓練をし、彼女は再び舞台に戻ってくる。
その後の彼女はまさに飛ぶ鳥落とすの勢いで、スターダムに駆け上っていくのです。
そしてそんな絶頂期に、ボクサーとの恋愛、
マレーネ・デートリッヒとの出会い。(彼女とは、生涯を通じての友情で結ばれる)。
やがて、彼の飛行機事故での死。
彼に聞かせるための"愛の讃歌"を発表する寸前のことでした。
彼の死から彼女は薬と酒におぼれ、体を壊していく。
それでも舞台に立つことだけは忘れないピアフ、
歌に恋に精いっぱい生きた、波乱の軌跡、
小説より奇で、ドラマよりもドラマティックな、
悲しく、逞しく、寂しく、豊かなピアフの47年の生涯でした。
イヴ・モンタンとの恋愛をもとに生まれた
”ばら色の人生”。
ピアフの人生で最大のロマンスだったボクサーとの恋愛、
彼への思いをうたった”愛の讃歌”
亡き人を偲んでつづった”美しい恋の物語”等・・・・
名曲の数々に触れながら、この映画を見終え、
ピアフの轟くような声量でうたう声が、今でも、頭の中に響き渡っていて消えない。
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